千明仁泉亭

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スタッフでも宿泊者でもない第3者の目から見た「千明仁泉亭」。
違った面からご覧頂けるかと思います。
「千明仁泉亭」を取り巻く環境や歴史…あなたの知らない「千明仁泉亭」がここにあります。

群馬県・榛名山の北東の方角の裾野に位置する伊香保温泉は、「万葉集」にも登場する歴史と伝統溢れる関東屈指の温泉地として知られている。
開湯時期は、1900年前とも1300年前とも言われている。
連歌師・宗祇(そうぎ)が、中風の治療のためこの宿を訪れ、その効能を「めぐみの湯」と呼んだ1502年(文亀2年)を創業年とする。
「めぐみの湯」を「仁乃湯」と書き、屋号の「仁泉亭」の由来となった。
応仁の乱(1467~1477年)が終結し、世は下克上の風潮が広まる戦国時代に突入した頃だ。

伊香保のメインストリートは、365段に及ぶ名物の「石段街」だ。
現在、傾斜地に石の階段を備え、両脇にお店や旅館が建ち並んでいるが、その上に伊香保神社がある。
その伊香保神社からさらに奥に行くと、「黄金(こがね)の湯」の源泉がある。
当時は、源泉近くに、「千明仁泉亭」はじめ、わずかな浴舎があっただけだった。
その源泉を利用して、「石段街」ができたわけだが、この工事を請け負ったのが、当時、武田家の家臣であった真田昌幸(1547~1611年)。
ここで、昌幸のプロフィールを簡単に紹介。
父・幸隆は、武田信玄(1521~1573年)の家臣となり、類いまれな知略で頭角を現す。
昌幸は、7歳の時、人質として甲府の信玄のもとに送られた。
しかし、人質というものの、扱いは、奥近習衆(おくきんじゅうしゅう)。
信玄の身の周りの世話役をしつつ、信玄から戦術や知略など、将来の武田家の幹部候補生としての訓練、教育を受けていた。
信玄は、昌幸の人の資質を見抜く才能を認め、後に「わが眼」と言ったという。
昌幸の初陣は、上杉謙信と最大の激戦となった永禄4年(1561年)の第4次川中島の戦いだ。
1572年の信玄の西上作戦にも加わり、同年12月の三方ヶ原の戦いにも参加。
翌、元亀4年(1573年)4月に、信玄が病没すると、家督を継いだ武田勝頼(1546~1582年)に仕えた。
天正2年(1574年)には、父・幸隆が死去し、真田家の家督は、長兄・信綱が継いだが、天正3年(1575年)の長篠の戦いで、信綱と次兄昌輝が討死したため、昌幸は家督を継ぐことになる。
長篠の戦いといえば、三河の設楽ヶ原(現在の愛知県新城市)にて織田信長・徳川家康連合軍が、約3000挺の鉄砲を擁し、馬防柵と三段構えの鉄砲隊により、当時最強と謳われた山県昌景、馬場信春、内藤昌豊など譜代の武将率いる武田騎馬軍団が、完膚なきまでに叩き潰された戦。
死者は、武田方だけで、1万人を超えたという説もある。
その長篠の戦いの翌年に、勝頼の命で、真田昌幸に作らせたのが、「石段街」なのだ。
小高い山の上部にあった源泉井戸から、傾斜を利用して、源泉を通す木製の湯樋を土中に埋め込み、左右に整然と区画されたそれぞれの温泉宿に、温泉が行き渡るよう、分岐させる湯樋を設けた。
目的は、もちろん、大量の負傷者の治療のためである。
この時代、温泉はまさに、現代でいう病院でもあったのだ。
こうして石段坂を中心に、当時としては異色の温泉街が形成され今日に至る。
これは、まさに、わが国第一号の温泉都市計画と言えるものなのだ。
これが「石段温泉街」、通称「石段街」の発祥なのである。

「黄金(こがね)の湯」は、まさにその名の通り、黄金のような、茶褐色の湯。
万葉の時代から現代まで、変わらず湧き出ている、歴史を刻んだ温泉なのだ。
泉質名は、「カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・炭酸水素塩・塩化物泉」。
旧泉質名でいえば「含重曹食塩-石膏泉」。
pH6.3の中性。
肌に刺激が少なく、石膏泉(カルシウム-硫酸塩泉)と重曹泉(ナトリウム-炭酸水素塩泉)のダブルの働きで、美肌効果が期待できる、女性に嬉しい泉質となっている。
さらに、動脈硬化症、慢性皮膚病、切り傷、やけど、慢性婦人病、虚弱児童にもいいとされ、その泉質からアトピー性皮膚炎にも効果があると言われている。
元々の源泉の温度が、41.6℃というのもいい。
同じ群馬県の名湯、草津は、熱い湯で有名だが、ここ伊香保の黄金の湯は、若干温めが特徴。
だからこそ、長湯ができるわけ。
長湯ができるということは、それだけ有効な温泉成分を、肌に浸みこませる事ができるという事。

現在、温泉の管理は、「小間口権利者組合」に委ねられている。
今も昔と同じように、上から流れてくる源泉を効率よく分湯するために、石段街の下にお湯の導管を設置し、配湯している。
その源泉が流れる本線「大堰」より、各源泉所有者(旅館)への引湯の際に用いられる湯口の事を「小間口」と言い、それは400年以上も前から権利者が決められ、その「小間口」の大きさ(湯量)も定められていた。
つまり、小間口権者(源泉所有者)とは、この「小間口」を所有し、各々定められた量の源泉を所有する者の事を言い、現在旅館では9軒の所有者が、何百年もの歴史を刻む茶褐色の「黄金(こがね)の湯」を守るべく、厳しい適正使用を定め「小間口権利者組合」を形成している。
その9軒の旅館の中のひとつが「千明仁泉亭」。
現在、伊香保温泉には50軒前後の温泉旅館があるが、「黄金の湯」を使用しているのはそのうち約半分と言われている。
9軒の権利者(大家)の中から、分湯しているのだろう。
ちなみに、「千明仁泉亭」はどこの旅館にも分湯はしていない。

「千明仁泉亭」は、明治・大正時代に活躍した文豪・徳冨蘆花(1868~1927年)ゆかりの宿でもある。
熊本県水俣の出身。
思想家・ジャーナリストの徳冨蘇峰は実兄。
「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」「復活」などが代表作の、帝政ロシア時代の小説家・思想家であり、非暴力主義者でもあるレフ・トルストイ(1828~1910年)に影響を受けた。
この宿で執筆した小説「不如帰」は、伊香保温泉を舞台に日清戦争によって愛する夫と、結核により引き裂かれた浪子の悲恋が描かれたもの。
その後も、蘆花は、外遊の際、実際にトルストイに会うなど、海外にも出かけていたが、ここ伊香保、特にこの「千明仁泉亭」をいたく気に入り定宿とし、さらにはここで生涯を閉じる。
「上州伊香保千明の三階の障子開きて、夕景色をながむる婦人。」・・・「不如帰」の冒頭の一節だが、この「千明の三階」とは「千明仁泉亭」の部屋のことだ。
改築とともに蘆花が過ごした部屋はもうないが、客室全室に「不如帰」の文庫本が置かれ、当時の面影に想いを馳せることができる。
しかし、「石段街」の入口に、「徳冨蘆花記念文学館」があるが、そこに臨終を迎えた客室を含む離れが、記念館として移築されていた。
また、フロントには、小説「富士」完成の喜びを知らせる徳冨蘆花から先代当主に宛てた手紙が展示されていた。
さらに、歌人・与謝野晶子も宿を訪れ、「伊香保山 雨に千明の傘さして 行けども時の帰るものかな」と詠んだ。
なお、文豪・谷崎潤一郎、国際的に活躍した教育者でもあり農政学者でもある、新渡戸稲造も訪れている。

「千明仁泉亭」は、伊香保随一の老舗旅館だが、安直に改築をせず、古いものはできるだけ残そうと、丁寧にメンテナンスを施し、現代まで維持している努力は、相当なものだと推測される。
館内には、さすがに明治の頃の客室はないが、大正時代のものは、大事に残されている。
本館1階にロビーラウンジとカフェ&バー「楽水楽山」があるが、その上の2階、3階部分がそうである。
他の本館の和室は、昭和の時代の木造建築。
温泉情緒が満喫できる、しっとりとした和室の設えとなっている。
しかしながら、客室の歴史はそのままに、快適で便利な現代的な装備、つまり、エレベータを備え、足腰に自信のないご年配の方でも安心して泊まれる造りになっている。
そして、平成の時代になって誕生したのが、別館の「鶴の居」。
ここでは、「黄金の湯」が贅沢にかけ流しされた客室露天風呂が付く。
部屋からの上州の山々の眺めもいい。
記念日に贅沢な温泉旅行を考えている人たちにも、この宿は対応できるという事だ。

伊香保温泉の宿の中でも、宿泊客一人当たりトップクラスの温泉の湯量に恵まれているこの宿。
必然的に、湯舟の数も多い。
まずは、本館の「仁乃湯(めぐみのゆ)」。
宿の屋号の一字を冠したこの湯舟は、深さ1mもある、通称"温泉プール"。
腰痛持ちの方にも評判がよく、歩行浴などもできる名物風呂だ。
「この湯舟があるから、千明を選ぶ」という常連客は多い。
「滝湯」は、タイル張りのモダンな造り。
その名の通り、滝のように、「黄金の湯」の源泉が湯舟に落ちてくる。
これら「仁乃湯」「滝湯」は、男女別大浴場。
時間によって、女湯、男湯と入れ替わる。
別館にあるのが、男女別露天風呂。
小野子山、子持山などが望める、開放的な空間が広がっている。
テレビのCMにも使われるほどの露天風呂なのだ。
内風呂やサウナも併設しているのも嬉しい。
そして、4つもある貸切風呂。
予約なしで、好きな時間にいつでも入れる。もちろん無料。
ご夫婦のお客には、人気のお風呂となっている。

本格的な温泉旅館には、本格的なエステもあった。
名前は「ルナシータ」。
ラテン語で「よみがえる」という意味。
地の利を生かして、温泉との相乗効果が期待できるメニューが揃う。
世界最高級の品質のエキストラバージンオイルを使用して、テーマはアンチエイジング。
女性だけでなく、カップルで受けられるのもポイント。
施術室も、シックでリラックスできる雰囲気。
温泉とエステ・・・本当に相性がいいのだ。

温泉宿には、かけ流しの温泉、快適な客室の他に、欠かせないには、美味しい食事。
せっかく地方に来たのだから、地元の新鮮な食材をいただきたいのは人情。
その点、「千明仁泉亭」は裏切らない。
赤城牛をはじめ、地の野菜をふんだんに使った献立は、常連客にも評判。
一部を除いて、本館にお泊りの場合、お部屋でいただける。
露天風呂付き別館「鶴の居」にお泊りの場合は、個室の食事処で。
お米は、お隣りの日本一の米どころ、新潟からコシヒカリを取り寄せている。

この宿には、美味しいコーヒーをいただけるカフェがある。
ケーキもある。
いくら老舗旅館といえども、古いものばかりではないのだ。
革張りのソファーに、アンティークの椅子が並ぶ空間には、心地いいジャズの調べが流れる。
陶器やアクセサリーなど、地元作家の作品の展示も行っている。
夜は、バーに変身。
浴衣姿でいただくカクテルもオツなもの。
新しい温泉宿の楽しみ方を提案してくれるのも「千明仁泉亭」の魅力なのだ。

源泉かけ流しの良質な温泉。
温泉情緒たっぷりの木造建築。
そして、気さくな仲居さんたち。
昔ながらのニッポンの温泉旅館の良さが、この宿には見事なまでに凝縮されている。
部屋数34室というのも、ちょうどいい。
ちょっと外に出ると、「石段街」があって、浴衣で散策も楽しい。
都会の人が、仕事に疲れるとよく言うフレーズ「温泉に行きた~い。」
まさに、ここが「温泉(宿)」なのである。
そして、日本だけでなく、世界に誇れる「温泉旅館文化」を、体感できる場所でもある。
そこには「おもてなし」が溢れている。

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